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【感想】1日10分も走れなかった私がフルマラソンで3時間を切るためにしたこと(カンゼン)などのオススメ度

 

【感想】1日10分も走れなかった私がフルマラソンで3時間を切るためにしたこと(カンゼン)などのオススメ度

 

1日10分も走れなかった私がフルマラソンで3時間を切るためにしたこと(カンゼン)

 

対象

サブスリーを視野に入れている女性市民ランナー

 

感想

まず、題名にある
「1日10分も走れなかった」
時代について、
全く触れられていないのが、
マイナスだと思います。

平塚潤さんという、
世界陸上代表で、
箱根駅伝の監督もされた方が
監修し、本書中にも登場するので、
内容は、かなりまともだと思います。

実質的には、
著者の女性を
全面に出してはいるものの、
平塚潤さんのマラソンの技術書、
というところではないかと思います。

1年間の流れ、3月は休養重視、
などということが
書いてあるのはいいと思います。

サブ3、3.15、3.5を目指す人について
ポイント練習を
・距離走20~30km
・ミドル走15~20km
・ペース走5~10km
・インターバル1000(200)×5
に分類して、解説しています。

10分走れないところからの、
体力づくり、
練習メニューについては、
『ダニエルズのランニング・フォーミュラ』
(ベースボール・マガジン社)が、
原理、考え方から
しっかり書いてあって、
優れていると思います。

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筋トレ、ストレッチについては、
世界陸上400mHで
銅メダル2回の為末大さんの
YouTubeチャンネル「為末大学」が、
やはり、原理、考え方から
語られていて、
優れていると思います。

 

本書は、おしゃれめな本で、
実際にサブスリーを達成した
女性のエピソードとともに、
あまり理論的に考えたくないが、
まずまず理論的にしっかりした
トレーニングをしたい、
という人には、
おすすめできると思います。

 

おすすめ度

 

目次

序.効率の良いサブスリートレーニング
 サブスリー達成には何が必要なのか?
 フォームや動きにこだわる
 スピード練習と距離走を上手に組み合わせる
 走る距離にこだわりすぎない
1.速くきれいに走るために必要なこと
 フォーム改善のために意識してきたこと

 必要な筋肉がつくとフォームは自然と変化する
 アゴを上げない
 肩甲骨を動かす
 猫背にならない
 ストライド走法とピッチ走法どっちが正しいの?
 腰高のフォームって?
 軸のブレない走りって?
 正しい腕振りの方法は?
 つま先着地?かかと着地?
2.レースの目標タイムと練習ペースの設定
 モチベーションの上がる上手な目標設定を

 レースに向けた年間スケジュールを考えよう
 フルマラソン記録達成への道
 年間スケジュールの立て方
 レース6週間前からの調整メニュー
3.サブスリー達成のためのトレーニング
 サブ3.15からサブスリーへの階段とは?
 超効率的なサブスリートレーニングの4本柱
 距離走
 ミドル走
 ペース走
 インターバル走
 スピード+ロングランのセット練習で相乗効果を狙う
 効率よく走力をつけるための週間トレーニングメニュー
 本格マラソントレーニング1~3
4.毎日続けたくなる!かんたん筋トレ
 筋力トレーニングはランニングへの効果絶大

 ランニングで使う筋肉を知ろう
 プッシュアップ・オン・ニー
 バックエクステンション
 スプリントスクワット
 ヒップリフト
 クランチ
 カーフレイズ
5.自宅でできる!かんたんストレッチ
 質の高い練習を継続するために体のメンテナンスは大切

 ハムストリングス
 股関節
 脊柱起立筋
 大腿四頭筋
 大臀筋
6.今さら聞けないランニングのお悩みQ&A

 

 

 

陸上競技中長距離 トラック走を極める!(メイツ出版)

 

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『陸上競技中長距離 トラック走を極める!』の対象

800~5000m走のことを
ほとんど知らない初心者。

 

『陸上競技中長距離 トラック走を極める!』の内容、感想

まず、800m日本記録保持者
川元奨選手、
元1500m日本記録保持者
小林史和選手、
5000m日本記録保持者
大迫傑選手
元3000m障害日本記録保持者
岩水嘉孝選手のインタビューが
収録されています。
競技関係の生い立ちなどが
語られますが、
あまり役に立たないと思います(笑)。

次に、ランニングフォームについて
載っています、
しかし、このあたりは、
世界陸上400mH銅メダル2回の
為末大さんのYouTubeチャンネル
「為末大学」がわかりやすく、
優れていると思います。

ただし、3000m障害の人は、
障害の越え方は、
本書を読むといいと思います。
ただ、これも
たむじょーさんのYouTubeチャンネル
解説されています。

次に、中長距離走の
レースの駆け引きについて
載っています。
このあたり、
トレーニングに特化した本には、
意外と書いていないので、
初心者は読んでおくといいでしょう。

次に、トレーニングについて
書いてあります。
漸進性
(故障しないよう徐々に負荷を高める)
など、トレーニングの大原則について
書いてあるのは良いのですが、
具体性に欠けると思います。
リディアードのランニングバイブルや、
ダニエルズのランニング・フォーミュラで、
しっかり学びたいところです。
その後のストレッチ、筋トレも
「為末大学」が優れていると思います。

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次に、食事、睡眠、入浴で
回復するのも大切だ、
ということが書かれています。
練習日誌に書くべきことなども
書かれています。

 

『陸上競技中長距離 トラック走を極める!』おすすめ度

初心者は◯

 

『陸上競技中長距離 トラック走を極める!』目次

1.記録保持者がアドバイス 中長距離で速く走るコツ
2.中長距離のフォーム作り
3.中長距離のレースでの駆け引き
4.中長距離のトレーニング
5.パフォーマンスを発揮するためのコンディショニング

 

 

陸上競技長距離・駅伝 自己ベストを出せる!(メイツ出版)

 

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『陸上競技長距離・駅伝 自己ベストを出せる!』の対象

長距離、駅伝を楽しみたい、
初心市民ランナー

 

『陸上競技長距離・駅伝 自己ベストを出せる!』の内容

表紙に書いてある監修者は、
オリンピックマラソン代表で、
箱根駅伝の指導者としても、
チームを立て直した方です。

ただ、
実際に執筆しているのは、
誰だかわからんなあ、
というところです。

まず、第1章は
「理想のフォームを身につける」です。

接地の説明で
「カカトから着地して、
 拇指球で蹴り出す」
とあります。
カカトで接地というのは、
それほど速くない
市民ランナーが対象なので、
いいかもしれません。

しかし、
「蹴り出す」という言葉については、
「本書でも地面の反発を利用」
とあり、
言葉の問題かもしれませんが、
世界陸上400mHで銅メダル2回の
為末大さんの
YouTubeチャンネルでは、
一貫して「蹴らない走り方」
という言い方をしています。

現在の陸上界では、
このような表現が主流だと思います。

為末さんは、他の動画で、
タイムが遅い
市民ランナーのマラソンでも、
原理は同じだ、と言っています。

次に、本書には、
モモ上げドリルが載ってます。
「拇指球に体重を載せ」
はいいと思いますが、
「膝を高く上げてひきつける」
とあります。
為末さんは、モモ上げは、
「膝を上げるのではなく、
 逆足で地面に乗っかる」
と言っています。

 

次に、
乳酸を疲労物質と表現していますが、
現在の運動生理学では、
乳酸は疲労物質ではない、
ということになっています。

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5000m、10000m、
マラソンの練習メニュー、
設定ペースなども載っており、
内容も適切だとは思います。
しかし、練習メニューについては、
『ダニエルズのランニング・フォーミュラ』
などで、原理から理解し、
体力、持ちタイムにしたがって
立てるのが良いかと思います。

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長距離走の春夏秋冬のアイテム、
駅伝の魅力、オーダーの組み方、
Jogのペースは話しながらでも
楽に走れるペースで、
栄養学の基本、などが
書かれているのは
いいと思います。

 

『陸上競技長距離・駅伝 自己ベストを出せる!』のおすすめ度

 

『陸上競技長距離・駅伝 自己ベストを出せる!』の目次

1.理想のフォームを身につける
2.団体競技の駅伝を楽しむ
3.目的に合わせたトレーニングをする
4.ストレッチ&補強エクササイズ
5.レースに勝つための栄養学

 

1日10分も走れなかった女性がフルマラソンで3時間を切ったこととニーチェ

 ニーチェは「力への意志」を重視しました。それは、自らの潜在能力を最大限に発揮し、困難に立ち向かう勇気と情熱です。この女性は、最初は10分間も走れなかったという弱さを抱えていました。しかし、その弱さを受け入れ、克服しようとする意志を持っていたのです。トレーニングを重ね、少しずつ自分の限界に挑戦していく。その過程は、まさに「力への意志」の実践と言えるでしょう。

 また、ニーチェは「超人」の概念を提唱しました。それは、既存の価値観に囚われず、自ら新たな価値を創造する人間像です。この女性は、「10分間も走れない」という自分の現状を受け入れることで、新たな可能性に目覚めたのです。フルマラソンで3時間を切るという目標は、彼女にとって、自分自身を乗り越えるための新しい価値だったと言えます。

 ニーチェは、「苦難」の意義についても語っています。苦難は、人を強くし、成長させるものだと考えたのです。この女性のトレーニングの過程は、まさに苦難の連続だったでしょう。しかし、その苦難を乗り越えることで、彼女は強さを手に入れたのです。フルマラソンで3時間を切ったという結果は、その強さの証明に他なりません。

 さらに、ニーチェは「永劫回帰」の思想も提唱しました。全ての出来事は無限に繰り返されるという考え方です。この女性の経験は、永遠に繰り返される人生のサイクルの一部と捉えることができるかもしれません。10分間走れなかった過去も、フルマラソンで3時間を切った現在も、全ては永遠の回帰の中で意味を持つのです。

 そして、ニーチェは「運命愛」の重要性も説いています。それは、自分に与えられた運命を肯定し、愛することです。この女性は、自分の弱さや苦難をも運命として受け入れ、愛することができたからこそ、成長を遂げられたのだと言えるでしょう。

 この女性の経験は、ニーチェの思想を見事に体現していると言えます。「力への意志」、「超人」、「苦難の意義」、「永劫回帰」、「運命愛」。これらの概念が、彼女の人生の中で生き生きと描かれているのです。

 私たちは、この女性の物語から、多くのことを学ぶことができます。自分の弱さを受け入れ、それを乗り越えようとする勇気。新たな価値を創造する創造性。苦難を成長の糧とする逞しさ。自分の運命を肯定し、愛する強さ。これらは、ニーチェが説いた「超人」への道を示しているのかもしれません。

 この女性の挑戦は、まだ終わってはいません。彼女の「力への意志」は、さらなる高みを目指すことでしょう。そして、その過程で直面する苦難もまた、彼女を強くするはずです。

 ニーチェの思想を通して見るとき、この女性の経験は、単なる個人的な成功談ではなく、人間の可能性を示す普遍的な物語となります。私たち一人一人が、自分の人生の主人公として、「超人」への道を歩むことができる。そのことを、この女性は身をもって証明してくれたのです。

 

1日10分も走れなかった女性がフルマラソンで3時間を切ったこととプラグマティズム

 1日10分間も走れなかった女性がトレーニングによってフルマラソンで3時間を切ったという事例は、努力と実践の価値を示す象徴的な出来事だと言えます。

 この女性の経験は、トレーニングという実践的な行為が、人の可能性を大きく拓くことを雄弁に物語っています。走るという具体的な行動の積み重ねが、彼女の身体能力を飛躍的に向上させ、当初は不可能に思えた目標の達成をもたらしたのです。これは、理論よりも実践を重視するプラグマティズムの思想に合致する事例だと言えるでしょう。

 また、この女性は、自分には長距離ランナーになる素質がないと思い込んでいたかもしれません。しかし、実際にトレーニングを始めることで、その先入観は覆されていきます。彼女は、自分の可能性を信じ、着実にトレーニングを積み重ねることで、自らの限界を突破していったのです。この過程は、経験によって自分自身や世界についての見方を更新していくプラグマティズムの姿勢を体現していると言えます。

 さらに、この女性の経験は、単に個人的な達成にとどまるものではありません。それは、同じように自分の可能性を信じられずにいる人々に、勇気と希望を与えるものでもあります。「努力は裏切らない」という彼女の実践知は、社会に広く共有されることで、より大きな意味を持つようになるのです。

 加えて、この女性の挑戦は、年齢や性別、体力レベルに関わらず、誰もがスポーツに参加できるという理想を体現しています。彼女の実践は、多様な人々がそれぞれの目標に向かって努力する社会の可能性を示唆しているのです。

 ただし、この女性がたどった道のりが、全ての人に当てはまるわけではありません。大切なのは、個々人が自分自身の経験に基づいて、最適な方法を模索していくことです。時には、トレーニングの方法を変更したり、目標を柔軟に調整したりすることも必要になるでしょう。プラグマティズムの精神に則るならば、この女性の経験は、絶対的な真理ではなく、一つの示唆に富む事例として捉えるべきなのです。

 以上のように、この女性の経験は、努力と実践の価値を示す象徴的な出来事だと言えます。それは、実践の積み重ねが人の可能性を拓くこと、経験によって先入観を乗り越えられること、個人の実践知が社会的な意味を持ち得ることを示唆しています。また、この事例は、誰もがスポーツに参加できる民主的な社会の理想をも体現しているのです。ただし、この女性の方法論を絶対視するのではなく、各自が自分の経験に即して実践的な知恵を磨いていくことが肝要です。プラグマティズムの思想に照らすならば、私たちには、この女性の経験から学びつつ、それぞれの状況に適した努力の在り方を探究し続けることが求められているのかもしれません。

 

1日10分も走れなかった女性がフルマラソンで3時間を切ったこととフランクフルト学派

 「1日10分間も走れなかった女性が、トレーニングにより、フルマラソンで3時間を切った」という事例は、一見すると個人の努力と成長を称賛するインスピレーショナルなストーリーのようですが、実は「自己啓発」という支配的なイデオロギーを再生産する言説だと言えるでしょう。

 まず、「トレーニング」という概念そのものが、資本主義社会における「自己投資」の論理と結びついています。アドルノとホルクハイマーが指摘したように、啓蒙の理念は逆説的に「道具的理性」を生み出し、個人を生産性の向上に駆り立てます。「トレーニング」の称揚もまた、そうした「効率化」の圧力の一部なのです。

 また、「3時間を切る」という目標には、「記録」を追求する競争主義的な価値観が潜んでいます。これは、人間の身体能力を数値化し、比較可能な「業績」として評価する、新自由主義的なイデオロギーの表れだと言えましょう。フランクフルト学派が批判したように、文化産業は人々の欲望を標準化し、「成功」を消費可能なものとして提示するのです。

 さらに、この女性の「成長物語」は、自己責任論のロジックを内面化させる装置としても機能しています。「努力すれば誰でも成功できる」というメッセージは、社会的な不平等や障壁を個人の問題に還元してしまいます。マルクーゼが論じたように、現代社会における「抑圧的寛容」は、個人の自由を「与えられた枠組み」の中で追求することを促すのです。

 ただし、こうした状況は女性個人の責任ではありません。むしろ、彼女自身が「自己啓発」の抑圧的なシステムの犠牲者だと言えるでしょう。フロムが指摘したように、現代人は自らのアイデンティティを市場の要請に適合させることを強いられているのです。

 問題の核心は、個人の「成長」を称賛することで、その背後にある社会構造の矛盾を隠蔽してしまうことにあります。ハーバーマスの言葉を借りれば、「システム」の論理が「生活世界」を植民地化し、人々の自由な生を阻害しているのです。「自己啓発」の物語は、そうした現実を覆い隠すイデオロギー装置なのかもしれません。

 したがって、私たちはこの女性の「成功譚」を無批判に称賛することはできません。むしろ、そこに表れている「自己啓発」のイデオロギーを批判的に分析する必要があります。アドルノの「否定弁証法」が示唆するように、私たちは既存の価値観に安住するのではなく、絶えずそれを乗り越えていく批判的精神を持たねばならないのです。

 この女性の「トレーニング」は、私たち自身が「業績」の追求に駆り立てられている状況を反映しています。彼女の物語を通して、私たちは自らが「自己投資」の論理に囚われていることを自覚せねばなりません。そのとき初めて、「自己実現」の新たな地平が開かれるでしょう。真の「成長」への道は、私たち自身が「疎外」された状況からの脱却でもあるのです。

 私たちは、この「マラソンランナー」という「テクスト」を批判的に読み解くことで、「自己啓発」の呪縛から自由になる道を模索せねばなりません。彼女の物語に潜む「亀裂」を手がかりに、私たちは新たな希望を紡ぎ出すことができるのかもしれません。「トレーニング」と「記録」の背後には、私たちの「解放」への地図が隠されているのです。

 

1日10分も走れなかった女性がフルマラソンで3時間を切ったこととハイデガー

 私たちは日常的に、自分自身の可能性に気づかずに生きています。ハイデガーはこのような在り方を「頽落」と呼び、本来的な自己を見失った状態だと批判しました。1日10分間走ることすらできなかったという事実は、まさにこの頽落の状態を表しているのかもしれません。

 しかし、彼女はトレーニングを通して、自分自身の可能性に目覚めていったのです。ハイデガーが説くように、本来的な自己とは、世間の価値観に流されることなく、自らの存在の意味を問い直し、固有の可能性を引き受ける存在なのです。トレーニングという営みは、単に身体を鍛えるだけではなく、自己の存在そのものを変容させる契機となったのでしょう。

 人間は「世界内存在」として、常にすでに何らかの意味連関の中に投げ込まれています。私たちは、自らが属する特定の歴史的・文化的文脈の中で、固有の可能性を引き受けながら生きているのです。この女性もまた、フルマラソンという世界の中で、自らの存在の意味を見出していったのだと言えます。

 フルマラソンで3時間を切るという目標は、単なる数値的な記録ではありません。それは、彼女が自らの存在を賭けて挑んだ、一つの「存在の真理」なのです。ハイデガーは、芸術作品の本質を「存在の真理の開示」として捉えました。芸術家は、自らの存在を賭けることで、世界の本質を照らし出すのです。この女性の挑戦もまた、このような芸術的な営みに通じるものがあるでしょう。

 しかし、ここで重要なのは、彼女がフルマラソンで3時間を切ったという結果だけではありません。むしろ、そこに至るまでのプロセスこそが、彼女の存在を根底から変えたのだと言えます。トレーニングという日々の営みは、彼女に自らの可能性を信じる力を与えたのです。それは、ハイデガーが重視した「本来的な自己」の在り方に通じるものがあります。

 私たちは、彼女の挑戦から、人間の可能性の無限性を学ぶことができます。それは、単なる身体的な限界の克服ではなく、自らの存在そのものを問い直す営みなのです。「1日10分間も走れなかった」という事実は、もはや彼女を規定するものではありません。むしろ、そこから脱却し、新たな自己を創造していく力こそが、彼女の本質なのだと言えるでしょう。

 ハイデガーは、私たちが「死への存在」であることを強調しました。つまり、私たちは有限な存在であり、いつか必ず死を迎えるのです。しかし、だからこそ、与えられた時間の中で、自らの可能性に真摯に向き合うことが求められるのです。この女性の挑戦は、まさにこのような「死への存在」の自覚に基づいているのかもしれません。

 彼女の物語は、私たち一人一人に、存在の意味を問い直すことを促しています。私たちは、日常に埋没することなく、自らの可能性に目覚める勇気を持たなければなりません。それは、ハイデガーが説いた「本来的な自己」を取り戻す道なのです。

 フルマラソンで3時間を切ったという出来事は、一見すると単なるスポーツの記録のように見えるかもしれません。しかし、その背後には、人間の存在そのものを照らし出す光が潜んでいるのです。私たちは、この光に導かれることで、自らの生の在り方を根底から問い直すことができるでしょう。

 1日10分間も走れなかった女性の挑戦は、私たち一人一人に、本来的な自己を取り戻す勇気を与えてくれます。彼女の物語は、人間の可能性の無限性を証言する、一つの「存在の真理」なのです。

 

1日10分も走れなかった女性がフルマラソンで3時間を切ったこととデリダ

 「1日10分間も走れなかった女性が、トレーニングにより、フルマラソンで3時間を切った」というテーマは、一見、努力と成果の直接的な因果関係を示唆しているように見えます。しかし、この言説の裏には、「トレーニング」という言葉に象徴される、身体の可塑性や改善可能性への信仰、そして「3時間を切る」という数値化された目標の設定など、様々な価値観や前提が潜んでいるのです。

 まず、「トレーニング」という言葉自体を脱構築的に読み解く必要があります。トレーニングとは、ある特定の目的のために身体を繰り返し動かすことを指しますが、そこには身体を意のままに操作し、改善できるという前提があります。しかし、身体とは本当にそのように制御可能なものなのでしょうか。身体には固有のリズムがあり、個人差も大きいはずです。画一的なトレーニングプログラムを全ての人に当てはめることは、身体の多様性を抑圧することにつながりかねません。

 また、「3時間を切る」という目標設定も問題含みです。ここには、数値化された目標を設定し、それを達成することが重要だという価値観が反映されています。しかし、ランニングの本質は、タイムを競うことだけにあるのでしょうか。走ることの喜び、自己と向き合う時間、自然や環境との調和など、ランニングには多様な意味や価値があるはずです。タイムという一元的な基準で評価することは、ランニングの豊かさを損なう危険性があります。

 さらに、「10分間も走れなかった」という表現と「3時間を切った」という表現の対比にも注目すべきでしょう。これは、「できない」状態から「できる」状態への移行を劇的に描いていますが、そこには「できる」ことが「できない」ことよりも優れているという価値観が潜んでいます。しかし、「できる」「できない」の二項対立自体を問い直す必要があるのではないでしょうか。「できない」ことには「できない」なりの意味があり、そこから学ぶべきことも多いはずです。「できる」ことを絶対的な価値とみなすのは、成功至上主義的な態度と言えるかもしれません。

 以上のように、一見単純なエピソードの中にも、様々な価値観や前提が潜んでおり、それらを脱構築的に読み解くことで、新たな思考の可能性が開かれるのです。トレーニングやランニングの意味を問い直し、「できる」「できない」という二項対立を乗り越えることで、人間の身体性や行為の多様な意味合いを捉え直すことができるでしょう。このような脱構築の実践は、スポーツや身体活動だけでなく、あらゆる人間の営みについて、より豊かで重層的な理解をもたらすはずです。

 

陸上競技中距離・長距離の練習法

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【レビュー】ASICS GT-1000 9 G-TX:ゴアテックス、防水の実力は?

 

【レビュー】ASICX GT-1000 9 G-TX:ゴアテックス、防水の実力は?

 

買った動機

 防水のランニングシューズがほしい!
 筆者はそれまで、ミズノのウェーブライダー20 GTXという、ゴアテックスのランニングシューズを履いていました。しかし、左足小指外側あたりに、穴が空いてしまいました(笑)。それそろ、買い替えどきかな、と。

 しかし、現在、ミズノはゴアテックスの「ランニングシューズ」は生産していないようです。

 ネットで調べると、アシックスは生産しているらしい。実店舗を少し回って探してみました。STEPスポーツ東京本店(水道橋)、それと、アメ横周辺をチョコチョコ。しかし、アシックスのゴアテックスのランニングシューズは置いていません。複数の店員さんによると「今、ゴアテックスは、トレイルの方になっちゃうんですよね。」とのこと。

 やっと、やや郊外のスポーツ専門店で見つけたものの、筆者が普段履いている27.5がない。27.0を試し履きすると、店員さんも、「ちょっと、痛くなっちゃうかもしれないですね。」とのこと。この感じから、27.5なら大丈夫かな、と思い、Amazonで注文しました。

 Amazonでの価格は、サイズによって異なり、日によっても異なりますが、2021年10月上旬現在、10,561円+106ポイントです。ゴアテックスのシューズとしては、かなりお求めやすいかと思います。返品などがしやすいかな、と思い、Amazonにしました。

 

履いた感じは?

 27.5の2Eですが、筆者の足は幅広気味なので、最初は、ちょっと幅がきつめかな、という気がしました。靴紐を、結ぶ部分の長さがかなり短くなるくらい、緩めています。それでも、最初、右足小指の爪の右下あたりが、少し、靴ずれしました。ただし、この程度の靴ずれは、最初は、どんな靴でも生じがちでしょう。その後は全く問題なく、快適に履けています。

 

走った感じは?

 質量は300gほどで、かなり重いです。ランニング中級者以上が、ビュンビュンとスピード練習や、いいペースでのJog、距離走をする感じではないでしょう。スローJog向けかと思います。アシックスの公式サイトでも、GT-1000シリーズは、スピード、反発性ではなく、安定性、に分類されています。また、接地の感じが、ちょっと固めかな、と思います。
 一方で、安定性は高く、走りの技術がまだ未熟な、雨の日に走りたい初心者には最適でしょう。雨の日にも走りたい初心者なんているのか?と思うかもしれませんが、初心者は、傘をさしながらJogをしても、十分トレーニング効果はあると思います。

 

防水性は?

 2021年9月29日、台風16号が太平洋を進み、東京はそれなりの風雨でした。筆者は、この日、GT-1000 9 G-TXを履いて外出しました。

 雨をはじいている!(水滴が見えますか?)。靴の中も濡れていません。かなり高い防水性を誇っていると思います。

 

ASICS社の実績と信頼性

 ASICS社は、1949年に創業者・鬼塚喜八郎がスポーツによる青少年の育成を通じて社会の発展に貢献することを志して興した会社です。創業哲学は「健全な身体に健全な精神があれかし」というもので、世界中の人々に心身ともに健康で幸せな生活を実現してほしいという願いを表しています。

 ASICS社は、長期的な視点で表した「VISION2030」では、当社の創業哲学を改めて中心に据え、「誰もが一生涯、運動・スポーツを通じて心も体も満たされるライフスタイルを創造する」ことを目指す姿として掲げています。

 一時期、ナイキ社の厚底シューズに押され気味に見えましたが、2023年現在、トップランナー向けにも、「METASPEED SKY」は評価が高く、シェアを広げています。

 ASICS社のシューズは、多くのトップアスリート、市民ランナー、一般人に履かれ、実績と信頼性は絶大と言えます。

 

ゴアテックスとは?

 アメリカのWLゴア&アソシエイツ社が製造販売する防水透湿性素材の商標名です。水が入ってくるのは防ぐのに、汗による湿気は外に逃がす。すごいですね。非常に微細な孔がたくさん開いていて、液体の水は通さないが、水蒸気は通すようです。
 ゴアテックス製品にはすべて、黒いタグがつけられています。これは、厳しい品質基準によって作られた品質保証の証しです。

 

FLYTEFOAMテクノロジーとは?

 アシックスの公式サイトに詳しいことが載っています。要するに、軽量化しながら、クッション性、耐久性も実現した、アシックスの技術のようです。
 GT-1000 9 G-TXでは、FLYTEFOAMテクノロジーを、かかと部の路面に近い位置に組み込んでいるようです。

 

800mの練習法 

1500mの練習法

5000mの練習法

効果的なレース前調整のコツ:筋肉の適度な緊張

ピーキング(テーパリング、試合に向けてピークを作る)の考え方

朝練、二部練はすべき? 2回に分けて走っていいの?

乳酸除去能力の高め方

たむじょー選手の全日本実業団陸上2021 1500m 3分48秒51

 

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たむじょー選手の全日本実業団陸上2021 1500m 3分48秒51:企画は達成も練習計画に課題か?

 

たむじょー選手の全日本実業団陸上2021 1500m 3分48秒51:企画は達成も練習計画に課題か?

 

最初に言っておきますが、
筆者はたむじょーさんに好意的です。

YouTuberのたむじょー選手が、
2021年9月25日、
全日本実業団対抗陸上競技選手権
1500mで3分48秒51を記録し、見事、
YouTubeの3分50秒切り企画を
達成しました!

以下は、レース後のたむじょー選手の
感想動画です。

 

3分50秒切り企画は
見事達成したものの、
たむじょーさんは、
前日、当日と、
とても調子が悪かったと語っています。
たむじょーさんは、
緊張、プレッシャーも
原因に挙げていますが、
心身ともに、
どうも上がって行かなかったのは、
直前の練習メニューも
影響していたのではないかと
考えられるかもしれません。

14日前 400(59”前後、r=90″)×5
13日前 オフ
12日前 治療院
11日前 1600(3’40″~50″/km、r=90″)×5
    卜部蘭選手と。標高1750m。
10日前 10kmビルドアップ 4’~3’30″/km
    田母神一善選手と。標高1750m。
9日前   2000 200(30″)200(45”)×5
    1600  69”/400m
    1200  68”+61″+68″
    800  63″/400m (遅れる)
    400(64″)×8 偶数本に参加
    ラスト1本は57″台
    r=3’
    楠康成選手と。標高1000m。
8日前   筋肉痛でベッドから動けない。
    完全オフ。治療院。
7日前   オフ
6日前   jog10km 5’07″/km 
       まだ疲れがある
5日前   治療院
4日前   1000(2’33″)300(43″)
    r=100w 疲れ、重い
3日前   疲れ 治療院
2日前   治療院
1日前   朝練jog6km 体がめっちゃきつい
    「やべえ、明日終わったわ」
当日     朝練jog13分「終わったわ」
    「まじやばい」「きつい」「体重い」

たむじょー選手は、
大学を卒業してからは、
コンスタントに距離を
踏めているわけではないように見えます。
その中で、特に、
9日前の高地での
楠康成選手との練習で
かなり走れてしまったため、
かなり大きなダメージを負い、
なかなか回復ができなかった
のではないかとも考えられます。
ちなみに、楠康成選手が、
5000m、10000mをどれだけ真面目に
取り組んでいるかは知りませんが、
公認ベストは、そう変わりません。
したがって、
たむじょー選手が、
日頃まずまず距離を踏めて、
中距離的なスピード練習に慣れていれば、
本来、このような
ボリューミーな練習では、
そこまで劣らないことが予想されます。

4日前は、
何らかの刺激を入れるべきでは
あったと思います。
しかし、
レースペースでの1000+300は、
負荷が高すぎ、
合宿の疲労の回復の妨げに
なったとも考えられます。
一方、4日前の1000+300が
精神的な自信につながった面も
大きかったと思われ、
難しいところですね。

試合前1週間については、
・思い切って走らなかったことにより、
 なんとか疲労を回復した。

・治療院の先生の腕が良かった。
ことがいい結果につながったとも
考えられます。

その他
・大学時代に箱根駅伝に向けて
 取り組んだ貯金

・3月のマラソンに向けての
 練習の貯金

・5000m13分台、
 10000m28分台の地力
・800mで1’51″60

なども、ギリギリ踏みとどまった
要因として考えられるでしょう。

また、ハンガリアンテーブルを見ると
1500mの3’48″51は
800mの1’51″1
3000mSCの8’59”
5000mの14’01”
10000mの29’28”
と同レベルで、実は
たむじょー選手にとって、
それほど難しいことでは
なかったとも言えます。

まあそれはいいとして、
今後のたむじょーさんのご活躍を
期待しましょう!

 

800m、1500mの
ピーキングの基本は、
レースから遠い時期は、
長いJog、LT走、
5000mRPあたりのIntを行い、
レースが近づくにつれ、
疲労を抜きつつ、
レースペースの練習を行う
という考え方がわかりやすいと思います。

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【感想・書評】努力不要論(フォレスト出版、中野信子):中長距離走も好きこそものの上手なれ?

 

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『努力不要論』の著者、評判

筆者はフジテレビの
ホンマでっか!?TVにも
出演している脳科学者の中野信子さん。
ただし、この本では
科学者達の厳しい目を経た
論文の引用などは
あまり見られないという
批判もあるようだ。

 

努力と「好きこそものの上手なれ」

話はまず、前AKBグループ総監督、
高橋みなみさんの有名な発言
「努力は必ず報われる」
から始まる。
それに対し、明石家さんま氏の
「好きだからやってるだけよ、
 で終わっといたほうがええね。
 これが報われるんだと思うと
 良くない。
 こんだけ努力してるのに何でって
 なると腹が立つやろ。」
という考えが紹介されている。
私は「努力を努力と思う人は二流」
と言った人を知っている。
明石家さんま氏に近い考えで、
「好きこそものの上手なれ」の人が
一流ということなのだろう。

中長距離走も
たしかに苦しいこともあるにせよ、
好きで楽しんでいる人が強い、
ということであろう。
それは、
純粋に走るのが楽しい、
でもいいかもしれない。
トレーニングに仮説があって、
それで記録が伸びるのが楽しい
というものでもいいかもしれない。

受験勉強も
同じような心の持ちようで
ありたいものである。

ただ、ここで
たかみなさんを弁護しなければならない。
たかみなさんは
AKBグループ総監督の立場上

AKBグループのメンバーに
努力してもらわなければ困る人だった。
本人がそう信じているかどうかはともかく
「努力は必ず報われる」
といったスローガンを
掲げる必要があったのだろう。
そして、特にSKEのメンバーに多いが、
努力の方法が適切ならば、
AKBグループではアイドルとして
ある程度成功できそうなのも事実である。

 

努力を脳内ホルモンから考える

日本人は幸せ脳内ホルモンである
セロトニンが少ない傾向があり、
不安になりがちで慎重、
という事実は自覚しておくと
いいかもしれない。
筆者は、だから日本人は
0から1を作るような
イノベーションは苦手なのだと
示唆している。

「努力不要論」という題名は
おそらく売るために出版社が
つけたもので、著者の本意では
ないのかもしれない。
論文の引用などは
あまり見られないものの
それほどおかしなことが
書いてあるとも思わない。
表紙にあるように
「がんばってるのに報われない」
と思ったら読むと
新たな気づきが得られるのでは
ないだろうか。

 

『努力不要論』とニーチェ

 ニーチェは、「力への意志」を重視した。それは、自らの潜在能力を最大限に発揮し、困難に立ち向かう勇気と情熱である。高橋みなみの発言は、この「力への意志」を肯定するものと捉えることができる。努力を重ねることで、自らの限界に挑戦し、成長を遂げようとする姿勢は、まさにニーチェが説く「超人」の資質と言えるだろう。

 しかし、ニーチェは同時に、「運命愛」の概念も提唱した。それは、自分に与えられた運命を肯定し、愛することである。明石家さんまの考えは、この「運命愛」に通じるものがある。好きなことをするのは、自分の運命に従っているからだ。そこには、外的な報酬への執着はない。自分の人生を肯定し、自分の道を歩むことこそが重要なのだ。

 ニーチェは、「ニヒリズム」の危険性についても警鐘を鳴らした。それは、従来の価値観の崩壊により、虚無感に陥ることである。「努力しても報われない」という考えは、まさにこの「ニヒリズム」の表れと言えるだろう。目的を見失い、努力の意味を疑うこと。それは、「力への意志」を削ぐことにつながりかねない。

 ただし、ニーチェは「価値の転換」の必要性も説いた。既存の価値観に囚われるのではなく、新たな価値を創造することが重要だと考えたのだ。「好きこそものの上手なれ」という言葉は、この「価値の転換」を示唆しているのかもしれない。努力そのものを目的化するのではなく、自分の情熱に従って行動することこそが、真の意味での成功につながるのだ。

 また、ニーチェは「永劫回帰」の思想も提唱した。全ての出来事は無限に繰り返されるという考え方だ。この観点からすれば、努力と報われることは、永遠のサイクルの一部に過ぎない。重要なのは、そのサイクルの中で、自分の人生をどう生きるかということだ。好きなことに打ち込むことは、そのサイクルに意味を与える営みと言えるだろう。

 そして、ニーチェは「パースペクティヴィズム」の重要性も説いた。物事には多様な見方があり、絶対的な真理などないという考え方だ。高橋みなみと明石家さんまの発言は、成功に対する異なる視点を示している。どちらが正しいかを判断するのではなく、多様な見方があることを認識することが大切なのだ。

 ニーチェの思想を踏まえれば、「努力は必ず報われる」と「好きだからやってるだけ」は、対立するものではなく、むしろ補完し合う関係にあると言えるだろう。「力への意志」と「運命愛」。この二つのバランスを取ることが、真の意味での「一流」への道なのかもしれない。

 自分の情熱に従い、努力を重ねる。しかし、その努力を苦役と捉えるのではなく、自分の運命の一部として愛する。そうした姿勢こそが、ニーチェが説く「超人」の在り方なのだ。高橋みなみと明石家さんまの発言は、そうした生き方への異なるアプローチを示していると言えよう。

 私たちには、この二つの視点を統合し、自分なりの人生観を確立することが求められている。「努力不要論」という書籍は、そのための重要な示唆を与えてくれる。ニーチェの思想を通して、この書籍を読み解くことで、私たちは自分自身の「力への意志」と「運命愛」を見つめ直すことができるはずだ。

 

『努力不要論』とプラグマティズム

 「努力は必ず報われる」という高橋みなみ氏の発言と、それに対する明石家さんま氏の考えは、努力の意義と目的をめぐる実践的な問いを提起していると言えるだろう。

 まず、努力の意義は、それがもたらす具体的な結果や効用によって評価されるべきだと考えられる。高橋氏の発言は、努力という行為自体に価値を見出し、それが必ず報われるという確信を表明したものと捉えることができる。一方、明石家氏の考えは、努力の目的を外発的な報酬に求めることの危険性を指摘しています。つまり、努力の真の価値は、それを通じて得られる内発的な満足感や成長にあるという見方だ。

 また、明石家氏の考えは、芸能界という実社会での経験に裏打ちされた実践知だと言えるだろう。「好きだからやってるだけ」という姿勢は、努力を苦役ではなく、自発的な活動として捉える視点を提供している。これは、外発的な動機づけに頼るのではなく、内発的な動機づけを重視する生き方につながる考え方だと言える。

 さらに、「努力は必ず報われる」という発言は、努力と報酬の関係を単純化しすぎているきらいがある。現実の世界では、努力が直接的に報われるとは限らない。むしろ、状況に応じて努力の在り方を柔軟に変化させ、時には努力を控えることも必要になるだろう。明石家氏の考えは、こうした状況適応的な思考の重要性を示唆していると言える。

 加えて、「努力は必ず報われる」という発言は、努力という行為を通じて社会的成功を約束するものだと捉えることができる。しかし、この考え方は、努力が報われない人々を排除する危険性を孕んでいる。一方、「好きだからやってるだけ」という姿勢は、個人の内発的な動機を尊重し、多様な生き方を許容する社会の実現につながるものだと言えるだろう。

 ただし、明石家氏の考えが示唆に富むものであるとしても、それが全ての状況に当てはまるわけではない。時と場合によっては、外発的な動機づけが必要になることもあるだろう。大切なのは、状況に応じて柔軟に考え方を変化させ、より良い結果を生み出すための実践的な知恵を磨いていくことだと言える。

 以上のように、高橋氏と明石家氏の発言は、努力の意義と目的をめぐる実践的な問いを提起していると言える。明石家氏の考えは、内発的な動機づけを重視し、状況適応的な思考の重要性を示唆するものだと評価できるだろう。また、その考え方は、多様な生き方を許容する民主的な社会の実現につながる可能性を秘めている。ただし、こうした考え方を絶対化するのではなく、状況に応じて柔軟に思考を変化させていくことが求められる。私たちには、努力の在り方をめぐる実践的な知恵を磨き、より良い結果を生み出すための不断の探究が求められているのだ。そのためには、自らの経験を省みつつ、他者との対話を通じて視野を広げていくことが欠かせない。

 

『努力不要論』とフランクフルト学派

 「努力は必ず報われる」という高橋みなみの発言は、一見すると個人の意欲を奨励するポジティブなメッセージのようだが、実は「成果主義」という支配的なイデオロギーを再生産する言説だと言えるだろう。

 まず、「努力」という概念そのものが、資本主義社会における「業績」の追求と結びついている。アドルノとホルクハイマーが指摘したように、啓蒙の理念は逆説的に「道具的理性」を生み出し、個人を生産性の論理に従属させる。「努力」の称揚もまた、そうした「道具化」の一部なのだ。

 また、「報われる」という言葉には、「努力」に対する「見返り」を求める功利主義的な発想が潜んでいる。これは、人間の活動を「投資」と「収益」の関係に還元する、新自由主義的なイデオロギーの表れだと言えよう。フランクフルト学派が批判したように、文化産業は人々の欲望を商品化し、「幸福」を消費可能なものとして提示するのだ。

 一方、明石家さんまの「好きだからやってるだけ」という言葉は、一見するとこうした「成果主義」への抵抗を示しているように見える。「好き」という感情に基づく活動は、「道具的理性」に回収されない自由な表現とも解釈できるだろう。ハーバーマスが重視したように、「コミュニケーション的行為」には、システムの論理を超越する可能性があるのだ。

 ただし、「好きこそものの上手なれ」という言葉には、別の問題が潜んでいる。それは、「上手」であることを称揚する「能力主義」のイデオロギーだ。個人の能力を競争的に評価する社会では、「好き」という感情さえも「人的資本」として動員されかねない。フロムが警告したように、現代社会における自由は、市場の要請に適合的であることを求める「強制」でもあるのだ。

 したがって、私たちはこの二つの言説をどちらか一方に与することはできない。むしろ、両者に共通する「成果主義」と「能力主義」のイデオロギーを批判的に分析する必要がある。アドルノの「否定弁証法」が示唆するように、私たちは既存の価値観の対立を乗り越え、新たな思考の地平を切り拓かねばならないのだ。

 「努力」と「好き」という言葉は、私たち自身が労働を通じて「疎外」されている状況を反映している。高橋みなみと明石家さんまの発言を通して、私たちは自らが「業績」と「能力」の物差しで評価されていることを自覚せねばならない。そのとき初めて、労働の「解放」の可能性が開かれるだろう。「努力不要論」への道は、私たち自身の「疎外」からの脱却でもあるのだ。

 私たちは、高橋みなみと明石家さんまという「テクスト」を批判的に読み解くことで、「成果主義」と「能力主義」の呪縛から自由になる道を模索せねばならない。彼らの言葉に潜む「亀裂」を手がかりに、私たちは新たな希望を紡ぎ出すことができるのかもしれない。「努力」と「好き」の背後には、私たちの「解放」への道標が隠されているのだ。

 

『努力不要論』とハイデガー

 高橋みなみ氏の「努力は必ず報われる」という言葉と、明石家さんま氏の「好きだからやってるだけよ」という言葉は、一見すると対照的に見えるが、ハイデガーの思想を通して見ると、両者はともに人間の存在の本質を照らし出しているように思われる。

 人間は「世界内存在」として、常にすでに何らかの意味連関の中に投げ込まれている。私たちは、自らが属する特定の歴史的・文化的文脈の中で、固有の可能性を引き受けながら生きているのだ。高橋氏の言葉は、このような世界の中で努力することの意味を問うている。

 「努力は必ず報われる」という言葉は、一見すると単なる励ましのように聞こえるかもしれない。しかし、その背後には、努力することそのものに価値を見出す態度がある。それは、ハイデガーが重視した「本来的な自己」の在り方に通じるものだ。本来的な自己とは、世間の価値観に流されることなく、自らの存在の意味を問い直し、固有の可能性を引き受ける存在なのだ。

 一方、明石家氏の言葉は、このような努力の在り方に一石を投じている。「好きだからやってるだけよ」という言葉は、努力をすること自体が目的化してしまう危険性を指摘している。ハイデガーもまた、私たちが日常的に没入している世界を「Das Man(世人)」と呼び、その非本来性を批判した。世人とは、自らの存在の真理に目覚めることなく、ただ漠然と日々を過ごす人々のことだ。

 明石家氏の言葉は、このような世人の態度に警鐘を鳴らしている。「好きだからやる」ということは、自らの情熱に忠実に生きることを意味する。それは、外的な報酬や評価に囚われることなく、自分自身の存在の意味を問い直すことなのだ。ここには、ハイデガーが説いた「本来的な自己」の在り方が見て取れる。

 しかし、だからと言って、努力することの意味が否定されるわけではない。むしろ、明石家氏の言葉は、努力の在り方そのものを問い直すことを促している。「好きこそものの上手なれ」という言葉は、単に才能だけで物事が成し遂げられるという意味ではない。それは、自らの情熱に基づいて、真摯に努力することの大切さを示唆しているのだ。

 ハイデガーは、芸術作品の本質を「存在の真理の開示」として捉えた。芸術家は、自らの存在を賭けることで、世界の本質を照らし出すのだ。高橋氏と明石家氏の言葉もまた、このような芸術的な営みに通じるものがある。彼らは、アイドルや芸人という役割を通して、人間の存在の真理を開示しようとしているのだ。

 私たちは、彼らの言葉から、努力と情熱の本質的な意味を学ぶことができる。それは、単なる成功のための手段ではなく、自らの存在の意味を問い直し、本来的な自己を取り戻すための契機なのだ。「努力を努力と思う人は二流」という言葉は、このような実存的な意味を持った言葉なのである。

 高橋氏と明石家氏の言葉は、一見すると対立しているように見えるが、その深層では、人間の存在の真理を照らし出す光を放っている。私たちは、この光に導かれることで、自らの生の在り方を根底から問い直すことができるのだ。彼らの言葉は、私たち一人一人に、本来的な自己を取り戻す勇気を与えてくれるのである。

 

『努力不要論』とデリダ

 私は先ほど、「努力」と「好き」という二項対立を提示し、「好き」の優位性を主張した。高橋みなみ氏の「努力は必ず報われる」という言葉は、努力と報酬の直接的な因果関係を示唆しているのに対し、明石家さんま氏の発言は、「好き」であることが努力の動機づけとなり、報酬を期待しないことが重要だと述べている。

 しかし、この二項対立自体を脱構築的に読み解く必要がある。そもそも「努力」と「好き」は対立する概念なのだろうか。「好き」であるからこそ、人は自発的に努力するのではないか。逆に、「努力」を強いられた場合、それは本当の意味での「努力」と言えるのだろうか。「努力」と「好き」は、実は相互に依存し、絡み合った関係にあるのかもしれない。

 また、「好きだからやってるだけ」という言葉は、「好き」であることが努力の必要性を消し去るかのように響く。しかし、「好き」であるからこそ、人はより深く、より真剣に取り組むことができるのではないか。「好き」は努力を不要にするのではなく、努力に新たな意味を与えるのだ。

 さらに、「報われる」ことへの期待の是非についても考えなければならない。「報われる」ことを期待しないことが重要だと言うが、それは「報酬」の意味を狭く捉えすぎているのではないか。努力によって得られるものは、外的な報酬だけではない。自己の成長、新たな発見、他者との繋がりなど、様々な形で努力は「報われる」のだ。

 「一流」「二流」という言葉も問題含みかもしれない。これは努力と報酬の関係性によって人を序列化する発想だが、そもそも人を「一流」「二流」と単純に分類することは可能なのだろうか。人は多面的で複雑な存在であり、ある側面では「一流」でも、別の側面では「二流」かもしれない。このような二分法的な評価は、人間の多様性を見過ごしてしまう危険性がある。

 以上のように、様々な二項対立――努力/好き、報われる/報われない、一流/二流など――を脱構築することで、努力と報酬、好きと努力の関係性について、より複雑で重層的な理解に到達することができる。これらの概念は決して単純に対立するものではなく、相互に影響し合い、時には反転し、絡み合っている。そのことを認識することが、人間の営みの本質を捉える上で不可欠なのである。

 

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